昨日、兄ちゃまの小学校で年度初めの保護者会がありました。
役員決めが奇跡の瞬殺っ!!
皆さんの立候補であっという間に全役員さんが決定しました~👏
す・ご・す・ぎっ!!
さてさて。
その保護者会で出た❔質問❔
「連絡帳で子どもに見られたくないお話は
どうやってお伝えしたらいいですか?」
3年生ともなれば、漢字の推測読みもできるようになって、
かなり大人な文章まで分かっちゃうんですよね。
子どもに直接かかわる内容は、段々書きづらくなってきます(;´∀`)
その質問を聞いててふと思い出した2年前のこと🎒
兄ちゃまが通っていた保育園では、
子どもが自由に表現するために文字を教えることをあえてしない方針でした。
だから、小学校に入学した時は読める字はほぼ0!!
ちなみに、数字も文字として考えられていたから、
足し算引き算の知識もほぼ0!!
その代わり、
音読を一度聞いたらほぼインプット完了だったし、
絵を描かせたらホント素敵な絵を描く。
3年生にあがった今、
お勉強で困っていることはありません✨
懐かしいなぁ、飛行機の中でひらがなの練習してた兄ちゃま♡
何が言いたいのかっていうとね、
慌てなくても大丈夫👌ってことなの
うぅん、むしろ、
文字を教えるのは遅くていいの
大事なことだから、もう一度言うね。
文字を教えるのは遅くていいの
今って、
2歳とか3歳とかでも字を読めたり計算できたりする子がいるでしょ。
「うわぁ賢いね~👀」
って普通なら言うだろうけど、
ホントはね・・・
「なんてもったいないことを・・・😢」
っていうのがホントのホント。
文字っていう「記号」を覚えていくことで、
自分の感覚で描く楽しさが奪われてしまう。
それはさながら、
「チューリップはこうやって描くのよ🌷」
って教え込むのと同じように。
自分の発達に合わせた表現をするという
ステップを横取りして、
大人の常識や感覚を押し付けてしまっている。
子どもは、自分の目がとらえたように表現するから、
例えば、葉っぱがとても素敵だと感じたら葉っぱが大きくなることもあるし、
お日様の光でキラッと光った輝きが美しければ、全体を白や黄色で塗るかもしれない。
ひょっとしたら、その輝きを水色で表現するかもしれない。
そういう、子どもが感じたものを閉じ込めて、
一つひとつ枠にはめることが、記号としての文字を教えることなんだよね。
その子だけが感じる世界を表現する時期に
文字はジャマなの。
例えば、シュタイナーだと
文字はおろか、絵本や紙芝居も使わない。
読み聞かせや語りから入ってくる「音」による情報で
子どもたちは自由に想像の翼を広げていくんだよ。
あのさ、
私は英語が苦手だから、よく英語で例えるんだけど、
英語の文章を読んだ後に、
で、内容はなんだったっけ?って思うことあるでしょ?
ひらがなを読み始めた子どもたちもおんなじなんだよね♡
読めると言っても、それは「音」としての文字を拾ってるだけで、
「読む」という行為とはかけ離れてる。
たっぷりたっぷり読み聞かせをして、
想像力が花開いて、
頭に描いたイメージを
自分の手先に行きわたらせて、
絵として表現する。
小学校に上がるまでは
そんな風に表現する力を存分に楽しむこと。
それが、就学後の学びの土台に必ずなっていくから。
目に見える分かりやすい「お勉強」の成果は、
小学校に入ったら半年で追いつくことができる。
だけど、
自分を表現する力っていう
学びの土台になる目には見えない「学力」は、
その時期を逃したら手に入れることは至難の業。
大胆に、
思い切り、
自分を表現してきた子どもは、
必ず
大胆に、
思い切り、
学びに没頭することができる。
早く字が読み書きできるようになることよりも大切なこと。
それが
自分を表現できる大胆さを育てること。
早期教育に踊らされないで。
根っこの一番大切なところを見つめた子育て、
してほしいな♡
余談だけど、
新学期だからかやたらと学習塾やお稽古のチラシが
ポストに入るのよね。
小学校で英語が!
小学校でプログラミングが!!
そんなキャッチコピーのチラシがわんさか・・・📭
おどらされないで。
英語やプログラミングが導入される本当の意味を知ったら、
そんなお稽古に惑わされないで済むから。
教育改革を逆手に取った塾産業の思惑にハマるのなんて
お金をどぶに捨てるようなものだから~Σ(・ω・ノ)ノ!
世間や周りの情報に振り回されないで、
自分の感覚を大切にする子育てしようね♡
ピンと来た方は会いに来て💕
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