こないだスッキリを見ていたら、
絵本作家のぶみさんが作詞したという
「あたしおかあさんだから」という歌が
大炎上の果てに発売中止になったのだとか。
全然知らなかったので
歌詞を見て・・・
私は苦しかった~😭😭😭
だいぶ肩の力が抜けて
子育ての「いい加減」が出来るように
なったけれど、
「お母さんしなくちゃ」って
思っていたころを思い出して、
胸がしめつけられた。
まだまだ自分の中で
あの頃の思いがくすぶっているのだって
気づかされた。
世間的には、
賛否二分するというよりは
賛成(というか理解できる、肯定できる)の方が
やや多いみたい。
そんな中で、
私はなぜ、この歌詞が苦しいのか。
それはきっと、
失恋直後に聴く失恋ソングが
心の傷をえぐるのと
同じような感じなんだろうな。
その渦中にいる人にとっては
逃げ場がなくなる感じがしちゃうから。
「あたしおかあさんだから」には
その先が描かれていない。
苦しくてつらくて
逃げ出したくなるような時間が
永遠に続いていく
そんな風に思えてしまうんだ。
そして、
そんな風に思ってることを
子どもに悟られてしまうんじゃないかと
不安になっていることまで
つまびらかにされてしまう気がする。
子育てがつらいと思ってはいけない。
そんな呪縛を
感じ取る人にとって
この歌詞は、
だから、、、
苦しい。
FBでシェアされていた詩がとても素敵だったの。
同じようにお母さんであることを歌っているんだけども、
それは振り返るとあっという間の奇跡のような時間だって
描かれている。
私たちは、
母であることの幸せを感じながら
今この瞬間があっという間に過ぎ去っていくことを
ついうっかり忘れて
目の前のことだけを見てしまうことがある。
でも、
本当にこの時間はあっという間に終わってしまって
そして二度と戻らない。
そんな視点があったなら、
きっと渦中にいるママたちも、
これからママになる人たちも、
子どもと過ごす
豊かな時間に思いをはせて
心をほっこりとさせられたのではないかしら。
もしも おかあさんになる前に 戻れたなら
夜中に遊ぶわ ライブに行くの
自分のために服買うの
それ ぜーんぶやめて
いま あたしおかあさん
それ全部より
おかあさんになれてよかった
あたしおかあさんになれてよかった
あたしおかあさんになれてよかった
あたしおかあさんになれてよかった
だってあなたにあえたから
これは、
歌詞のラストの部分なんだけど、
これも私はまたつらくって。
お母さんだったら
自分のために何かすることを
全部あきらめなきゃいけないのかな?
自分を優先する私は
ダメな母なのだろうか??
そんな風に思ってしまった。
自分にOKなんて思っても
こういうふとした瞬間に、
自分の根っこの至らなさを突きつけられる気がして
自分を責めてしまう。
私はまだダメな自分を受け入れられてない。
そんな風に思って
自己否定に入ってしまう。
弱いわたし。
ダメな自分で
子どもと過ごす時間がつらい時があって
イライラして子どもに八つ当たりしちゃう時もあって
そんでもってそんな自分に自己嫌悪して落ち込む時があって
それでも
子どものことが大好きで大好きでたまらない
その大前提があるから
怒りんぼママになった時には
何度でも子どもに「ごめんね」って謝る
ヘタレで動けないママの時には
「助けてくれてありがと」ってチューする
弱虫で泣き虫でダメダメなママのことを
子どもはそれでも大好きでいてくれて
ケンカしたり仲直りしたりしながら
一緒にぎゅってして眠りにつく
そんな愛のかたちも
あっていい
ママだって一人の人間だから
いっぱいいっぱいなこともある
ママだからって
羽目を外して叫んじゃうこともある
そういうのもあっていい
「多様性」が広まる社会の中で
ママを「ママ」の枠に閉じ込めないで。
そんなことを感じて
心がざわついて
心が痛んだんだな。
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